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118.DOWN UNDER _ Men At Work
ダウン・アンダー
#1:83/01/15-83/01/29,83/02/12(4wks.)
というわけで、本国オーストラリアでのヒットからちょうど1年、私の期待通り、Men At Workにとって、2曲連続の全米No.1となったのがこの曲でした。
そして、この曲はアメリカと同時にイギリスでも1位になり、全世界でMen At Workはブームになっていました。
Men At Workは5人組で、本来、「Men At Work」という言葉は、「工事中」を意味する、道路工事などの工事中標識に書かれている言葉で、アルバムのタイトルも「Business As Usual/ワークソングズ」ということから労働者のグループか?と思わせましたが、ボーカルであり、リーダー的存在であったColin Hay自身はいかにも芸術家という感じで、それが合わなかったのかグループ自体は長続きしませんでした。
ちなみに、この曲は1度2位に落ちてから再び1位に返り咲いていますが、Hot 100ではそれまで、そう珍しいことではなかった1位への返り咲きは、この曲を最後にぱったりとなくなってしまい、次に1位返り咲きを果たした曲は実に11年後、1994年のAce of Baseの「The Sign」でした。
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119.AFRICA _ Toto
アフリカ
#1:83/02/05(1wk.)
Totoはカリフォルニアで結成された6人組。メンバーの各自がスタジオミュージシャンとして多くのアーティストのバックに参加していたことでも有名です。
この曲は、Totoの唯一のNo.1ヒットで、「Down Under」が2位に落ちた1週だけ、1位になったものですが、Cash Boxでは「Down Under」がトップを独走していて、この曲は1位になれませんでした。
しかし、正直言って、Totoと言えば「Africa」よりもBilboardでは1位になれなかった「Rosanna」で、Billboardでは、どうも、こういった代表曲よりも、その次の曲のほうが最高位が高くなるということが多く、実際、大ヒット曲の次のシングルは、放送局側が期待を込めて多めにエアプレイするということはあるのですが、それにしても、「それは違うだろ。」という気がして釈然としません。
とは言え、この曲が名曲なのはまぎれもない事実で、Totoはこの年のグラミーを総ナメすることになるのでした。
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120.BABY, COME TO ME _ Patti Austin & James Ingram
あまねく愛で
#1:83/02/19-83/02/26(2wks.)
この曲は、Rick Springfieldが出演していたTVドラマ「General Hospital」の挿入歌として大ヒットした曲です。
彼らは2人とも、Quincy Jonesのバックボーカリストでした。Quincy Jones自身はプロデューサーなので、Quincy Jones名義でリリースされた曲でも実際に歌っているのは別人で、日本で大ヒットした「Ai No Corrida/愛のコリーダ」でも、メインボーカルを担当していたのがJames ingramで、Patti Austinもバックボーカルに参加していたのですが、彼らの名前は全く表には出ていませんでした。
しかし、そんな影の存在だった彼らを世に知らしめたのがこの曲で、特に、James Ingramは、この後、トップアーティストとしての地位を固めていくわけですが、この曲でも日本盤はPatti Austin名義になっていて、James Ingramの名前がないのがかわいそうです。
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121.BILLIE JEAN _ Michael Jackson
ビリー・ジーン
#1:83/03/05-83/04/16(7wks.)
来ました!何と言っても、この年、1983年はマイケルの年でした。
それまで、全世界で最も売れたアルバムは、映画「Saturday Night Fever」のサントラだったのですが、この年、Michael Jacksonの「Thriller」が売上げ記録を大幅に更新。いまだに史上最高の売上げをあげたアルバムとして名をとどろかせています。
ただし、この曲は、その「Thriller」からの第2弾シングルで、第1弾シングルは、Paul McCartneyの大物デュエット第2弾「The Girl Is Mine」でした。しかし、20歳は違う2人が同じ女性を巡って争うという内容のこの曲はちょっと無理があるなと思ったもので、そのせいか2位止まりでした。
先日、「マイケル・ジャクソンの真実」が世界中で話題を読んだマイケルですが、あの番組を見て、
「ビリー・ジーンは僕の恋人じゃない。子供が僕の子供だと言い張ってる女なだけだ..。」
という、無責任な男が悪いのか、罠にはめた女が悪いのか悩むこの曲の内容は、マイケルの倒錯した親子感ならではのものだったのだなと妙に納得してしまいました。
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122.COME ON EILEEN _ Dexy's Midnight Runners
カモン・アイリーン
#1:83/04/23(1wk.)
Dexy's Midnight Runnersはイギリスのグループ。
1980年に「Geno」が全英No.1になっていましたが、その後、メンバーががらっと変わり、ほとんど別グループとなって、1982年に全英No.1となったのがこの曲でした。
イギリスのチャート番組も聞いていた私には、どちらもおなじみの曲でしたが、ちょっと野暮ったさを感じる、いかにもイギリスっぽいこの曲が、まさかアメリカでヒットするとは思いもしませんでした。まさに、この曲のヒットは、この頃吹き荒れていたブリティッシュインベージョンのおかげで、やはりアメリカでは、彼らは一発屋で終わってしまっています。
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123.BEAT IT _ Michael Jackson
今夜はビート・イット
#1:83/04/30-83/05/14(3wks.)
そして、Dexy's Midnight Runnersにわずか1週1位を奪われただけで、あっさり、Michaelが2曲連続No.1となったのが、この曲でした。
この曲は、Van HalenのEdward Van Halenが派手なギターソロを披露している上、TotoのSteve Lukatherも参加しているということでロックファンからも絶大な支持を受け、Michael JacksonはR&Bのアーティストというよりはロッカーなのだということを印象づけました。
さらには、「West Side Story」をモチーフにしたこの曲のビデオは、その完成度の高さからMTVで大人気となり、ビデオが受けて多くのブリティッシュアーティストがブレークしたのと同じように、Michaelも大ブレークし、「Thriller」の大ヒットにつながりました。
言わば、Michaelを「超」のつくスーパースターにしたのがこの曲だったわけで、そのため、1位を獲得した週数で見れば、3週だけの「Beat It」は7週連続No.1の「Billie Jean」には遠く及ばないのですが、Michael Jacksonの1番の代表曲と言えば、やはり、この「Beat It」だという気がします。
結局、アルバム「Thriller」からは7曲がシングルカットされ、特に、満を持して最後にカットされたタイトルトラック「Thriller」の15分に及ぶビデオは「Beat It」以上の人気となり、現在でも、MTV史上、最も多くオンエアされたビデオとされていますが、さすがに7曲目のシングルではセールスがさっぱりだったようで、Radio & Recordsでは1位になったのですが、Billboardでは4位止まりでした。
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124.LET'S DANCE _ David Bowie
レッツ・ダンス
#1:83/05/21(1wk.)
中性的な魅力を前面に押し出した、ビジュアル系の元祖、デビッド・ボウイーはロンドン生まれ。
本名が、MonkeesのDavid Jonesと同姓同名なのをいやがってこの名前にしたというのは有名な話です。
アメリカでは、1975年に「Fame」がNo.1になっていましたが、まだ、「化粧をする男」というのが受入れられがたかった日本では彼はカルト的な人気にとどまっていて、日本ではこの曲が彼にとって唯一のヒットとなりました。
なお、この曲は、David Bowieと元ChicのNile Rodgersとの共同プロデュースになっていて、いかにもNile Rodgersのサウンドといった感じの仕上がりになっています。
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125.FLASHDANCE...WHAT A FEELING _ Irene Cara
フラッシュダンス 〜ホワット・ア・フィーリング
#1:83/05/28-83/07/02(6wks.)
1980年に、主演映画「Fame」の同名主題歌(もちろん、David Bowieの「Fame」とは同名異曲)を最高位4位のヒットにしていたアイリーン・キャラが、「Fame」と似た、スターを夢見る女性を描いた映画「Flashdance」の主題歌を歌って初のNo.1となったのが、この曲でした。
そして、映画「Flashdance」は世界的に大ヒットし、日本でも、この主題歌は、1979年のNolansの「I'm in the Mood for Dancing/ダンシング・シスター」以来、4年ぶりにオリコンで1位になった洋楽曲となりました。
なお、日本では、麻倉未稀によるカバーが、「お前はドジでのろまなカメだ」でおなじみのドラマ「スチュワーデス物語」の主題歌に使われていたので、こちらで知っている人も多いのではないかと思いますが、こちらはオリコンで最高位49位と、そう大きなヒットにはなっていません。
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126.EVERY BREATH YOU TAKE _ Police
見つめていたい
#1:83/07/09-83/08/26(8wks.)
この曲は、Policeにとっても、そのリーダー的存在でもあったStingにとっても唯一のNo.1ヒットで、この年の年間No.1ソングでもあります。
Policeは、イギリスで結成された3人組でしたが、ドラマーのStewart Copelandはアメリカ人で、バージニア州出身です。
イギリスでは1978年から大ヒットを連発していた彼らは、日本でもすでになかなかの人気を得ていて、特に2枚目のアルバム「Zeniyatta Mondatta」は「アンマの歌かい?」というタイトルも受けて話題となり、そのアルバムからの「De Do Do Do De Da Da Da/ドゥドゥドゥ・デ・ダダダ」は、あの湯川れい子さんの訳詞による日本語盤がリリースされ、1981年にオリコンで最高位50位を記録していました。
しかし、アメリカではイマイチだった彼らを一躍、ビッグアーティストの仲間入れさせたのが、この曲で、これも、やはりブリティッシュインベージョンの影響だったことは否めないでしょう。
ちなみに、Police解散後、Stingは、私の地元、宮崎のシーガイアがオープンする際にCMタレントとして起用され、シーガイアのシンボルでもあるホテルオーシャン45の宿泊客第1号として招待され、シーガイアの特設会場で、関係者や地元住民などを招待した特別ライブを披露したのですが、それを見に行った私の友人の話によると、招待されているのが、Stingが誰かもわからないような人ばかりだったみたいで、この「Every Breath You Take」を歌ってもたいして盛り上がらなかったそうです。きっとStingはイヤな思いをしたのだろうなと思うと、私も心苦しいです。
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127.SWEET DREAMS(ARE MADE OF THIS) _ Eurythmics
スイート・ドリームス
#1:83/09/03(1wk.)
ユーリズミックスは、現在はともにソロとして活躍している、Dave Stewartと元TouristsのボーカリストだったAnnie Lennoxによるデュオで、この曲は彼らにとって唯一のNo.1ヒットです。
この時のAnnie Lennoxは、男性的な女性の風貌をしていて、時代はユニセックスを求めていました。唐突に牛が出てくるこの曲のビデオには不思議な魅力がありましたが、やはり、彼らの成功もブリティッシュインベージョンの影響が大きいでしょう。
ちなみに日本では、Eurythmicsと言えば、「たらりらりららら〜」でおなじみの1985年のヒット「There Must Be an Angel(Playing with My Heart)」が有名ですね。この曲はイギリスでは彼らの最大のヒットで、唯一のNo.1ヒットなのですが、アメリカでは最高位22位と、それほど大きなヒットにはなっていません。
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128.MANIAC _ Michael Sembello
マニアック
#1:83/09/10-83/09/17(2wks.)
映画「Flashdance」から2曲目のNo.1ヒットとなったのが、この曲でした。
マイケル・センベロはフィラデルフィア生まれ。Stevie Wonderのバックミュージシャンとして頭角を表した彼は、ソングライターやプロデュサーとしても実績をあげていました。
そして、この曲は、本来は、ホラー映画の主題歌用に作られていた曲だったのですが、「Flashdance」用にいい曲はないかとさがしていたPhil Ramoneの目に止まって大ヒットとなりました。
この曲は、Flashdanceの中では、Jennifer Beals演じる主人公が自宅でレッスンのウォーミングアップを行っている時のBGMとしてかかるのですが、なぜか下半身ばかりがアップになると思っていたら、実は、このシーンで踊っているのは吹替えの別人で、その中には男性も含まれていると知ってげんなりしてしまった記憶があります。
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129.TELL HER ABOUT IT _ Billy Joel
あの娘にアタック
#1:83/09/24(1wk.)
この曲は、Billy Joelにとって2曲目のNo.1です。
この頃、やたらシングルカットをするアルバムが目立ちましたが、この曲は、6曲がシングルカットされたアルバム「An Innocent Man/イノセント・マン」からの第1弾シングルでもあります。
1982年に、長年連れ添った妻エリザベスと離婚したBilly Joelは、傷心旅行のバカンス先、カリブの島で出逢ったスーパーモデル、クリスティー・ブリンクリーに一目ぼれし、猛烈にアタック。この曲も彼女へのラブコールでした。
そして、まさに彼女のことを歌った、第2弾シングル「Uptown Girl」では、ビデオに彼女を出演させるという、まさに役得を絵に描いたような展開で、とうとう、彼女を射止めて結婚してしまいました。
しかし、10年後、彼女は離婚後、あっさり大富豪と再婚してしまいます。
実は、1位にこそなっていないもののBilly Joelの1番の代表曲だと考えられている「Just the Way You Are/素顔のままで」は、前妻エリザベスに捧げられた曲だとされ、クリスティーがいやがったため、クリスティーと結婚している間は、Billy Joelはライブでこの曲を歌わなかったそうですが、クリスティーとの離婚後は、逆に「Uptown Girl」を歌わなくなったそうです。何だかなーって感じですね。
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120.TOTAL ECLIPSE OF THE HEART _ Bonnie Tyler
愛のかげり
#1:83/10/01-83/10/22(4wks.)
ボニー・タイラーはイギリスはウェールズ生まれ。
この曲は、1978年、最高位3位を記録した「It's a Heartache/愛は哀しくて」や、日本では、1979年、世界音楽祭でグランプリとなった「Sitting on the Edge of the Ocean/悲しみのオーシャン」のヒットで知られる彼女の唯一のNo.1ヒットです。
彼女は、お人形さんのような容姿からは想像もつかないハスキーボイスの魅力で、女ロッド・スチュワートと呼ばれたものでしたが、日本では「ボヘミアン」をヒットさせた葛城ユキが和製ボニー・タイラーなんて呼ばれていましたね。
なお、この曲のタイトルは、皆既日食が「Total Eclipse of the Sun」、皆既月食が「Total Eclipse of the Moon」と呼ばれることのもじりで、「愛のかげり」という邦題からは、欠けた部分はわずかなようなイメージを受けますが、実は、完全になくなってしまったという内容の歌になっています。
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121.ISLANDS IN THE STREAM _ Kenny Rogers & Dolly Parton
アイランド・イン・ザ・ストリーム
#1:83/10/29-83/11/05(2wks.)
Dolly Partonの「9 to 5」以来、2年ぶりにNo.1ヒットを放ったカントリーアーティストはKenny Rogersで、しかも、それは、そのDolly Partonとのデュエットでした。この曲は、Bee GeesのBarry Gibbが作曲、プロデュースした作品でも有ります。
しかし、アメリカでのカントリー離れは深刻で、結局、この次にカントリーアーティストが1位になったのは、「Amazed」のLonestarで、それは、実に17年後、2000年のことでした。
この曲は、事実上、1つの時代の終わりを告げる曲だったと言えるでしょう。
ちなみに、この曲のB面は「I Will Always Love You」という曲で、「I Will Always Love You」と言えば、Whitney Houstonが歌って大ヒットした映画「Bodyguard」の主題歌で、その作者がDolly Partonであることは有名ですから、もしやと思われるのですが、実は、全然違う曲で、Barry Gibbが作曲し、Kenny Rogersが歌っている曲です。
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132.ALL NIGHT LONG(ALL NIGHT) _ Lionel Richie
オール・ナイト・ロング
#1:83/11/12-83/12/03(4wks.)
この曲は、Lionel Richieのソロとして2曲目のNo.1ヒットですが、バラードアーティストのイメージの強いLionel Richieには珍しいダンサブルな曲のNo.1ヒットです。
「全米Top 40」のファンとしては、Joke Boxの「田んぼに行って捨てて来いや、イエー、田んぼ、田んぼ」でおなじみの曲ですが、この部分の実際の歌詞は、
".Tom bo li de say de moi ya
Yeah, Jambo Jumbo.."
で、この部分はジャマイカの古い歌なのだそうですが、意味は不明です。
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133.SAY SAY SAY _ Paul McCartney & Michael Jackson
SAY SAY SAY
#1:83/12/10-84/01/14(6wks.)
この曲は、Paul McCartneyの大物デュエット第3弾。第2弾の「The Girl Is Mine」はマイケルの「Thriller」に収録されていましたが、そのお返しに、この曲はPaulのソロアルバム「Pipes of Peace」に収められています。
マイケルにとっては、「Thriller」からの第6弾シングル「P.Y.T.」をリリースしたばかりの時にリリースされたこの曲は、6週連続No.1となり、「American Top 40」が放送した独自の年間チャートでは、1984年の年間No.1となりました。
この頃は非常に仲のよかった2人でしたが、その後、Michael JacksonがBeatlesの曲の版権を大量に購入。どこかで「Yesterday」などが演奏されるたびにマイケルが儲かることになり、それでは、ポールがおもしろいわけがなく、2人の関係は決裂してしまいました。
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DO YOU REALLY WANT TO HURT ME _ Culture Club
君は完璧さ
#2:83/03/26-83/04/09(3wks.)
この年吹き荒れた、ブリティッシュインベージョンの立て役者として知られるのが、このカルチャー・クラブと、1984年編で紹介することになるデュラン・デュランでした。
どちらもプロモーションビデオの人気でブレークしたアーティストで、この年は、MTVの影響力が絶大化した年でもありました。
また、David Bowieの項で彼をビジュアル系の元祖と書きましたが、Culture ClubのBoy Georgeは、世間に受け入れられた最初のビジュアル系アーティストだったと言えるでしょう。彼の人気が、日本でも、オカマやニューハーフの地位向上に結び付いたことは確実で、言うなれば、彼はそんな人達の救世主的存在だったと言えます。
なお、この曲は、前年、イギリスで1位になった時に、「冷たくしないで」という邦題で日本でもリリースされていたのですが、その時は全く売れなかったのが、アメリカで大ヒットしたことから、「君は完璧さ」と改題されて再リリースされ、オリコンでも最高位23位を記録する大ヒットとなりました。
やはり、当時、アメリカでヒットしないと本物ではないというアメリカ至上主義みたいなものがあったことは否めないでしょう。
ちなみに、Billboardでは3週連続2位にとどまりましたが、Cash Boxでは1位になっています。
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MR. ROBOTO _ Styx
ミスター・ロボット
#3:83/04/16-83/04/23(2wks.)
はい、「どもありがっと、ミスターロボット、ども、ども…」のMr. Robotoです。
何も知らない人が聞くと、Joke Boxか空耳アワーのネタかと思いそうですが、もともと日本語が使われているわけで、しかも、「ども」と韻を踏むためではありますが、本来の「Robot」というつづりではなく、日本語の発音にあわせた「Roboto」というつづりにもなっています。
Styxは、1977年にも「天使が降りてきたと思っていたのに、実は乗っていたのは宇宙船で、宇宙に向かっていた」という内容の「Come Sail Away/永遠への航海」を最高位8位のヒットにしているなど、SFを題材にした曲が多く、この曲が収録されているアルバム「Kilroy Was Here/ミスター・ロボット」は、Kilroyという名のロボットが自己のアイデンティティーを確立して、人類に対して独立運動を起こすという、まるで「鉄腕アトム」か「火の鳥」かという内容のコンセプトアルバムになっています。
SF大好きな私にとっては、それだけでも、この曲を応援したくなるところなのに、おまけに日本語入りと来てるのですから、応援する声にも力が入ったものでしたが、Cash Boxでは1位になったものの、Billboardでは最高位3位にとどまりました。
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PUTTIN' ON THE RITZ _ Taco
踊るリッツの夜
#4:83/09/03-83/09/10(2wks.)
タコはインドネシアはジャカルタ生まれ。国際的なビジネスマンだった父と各国を転々とした後、ドイツのハンブルグに定住しました。
この曲は、Billboardでは4位止まりでしたが、Cash Boxでは1位になりました。もともとは1920年代ヒットしたポピュラーの古典でしたが、このヒットにより再発掘された形になっています。
しかし、何と言っても日本では、「タコ」という名前が話題を呼びましたね。ジャケットにもしっかりたこの絵が描かれているのが笑えます。
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